なぜ1月1日を1年の始まりと決めたのでしょうか?
なぜ30日と31日の月があるのでしょうか?
なぜ4年に一度2月29日のうるう年があるのでしょうか?
今まであまり気にしなかったけど、よく考えてみると不思議ですよね?
今回はその謎について調べてみました。
よかったら、誰かとの雑談のネタに使ってください。
なぜ暦(こよみ)を決めたのか?
時の流れを「年」「月」「日」の単位で分けて、わかりやすくしたものを「暦(こよみ)」と言います。
おそらく暦がない間は、「朝が来て夜が来て、いつの間にか暑くなって、気がつけば寒くなって…。」というような生活だったんでしょう。
しかし何も考えていなくても何年もたつと、その季節の変化や時間の移り変わりに慣れ、その経験や勘をもとにある程度の時期がわかってきますよね?
それを決めたのが暦(こよみ)の始まりだと言われています。
その後、農業などで「いつ種子をまいて、いつ収穫すればよいか?」「どうすればたくさん収穫できるか?」など、様々な問題を解決するために「季節」や「昼・夜」などの時間の概念が生まれ、現在のような暦が作られてきました。
暦(こよみ)には種類がある?
暦は大きく分けて「太陰暦」「太陽暦」「太陰太陽暦」の3種類があります。
太陰暦は「月の動き」を基準として日にちを決めたものです。
太陽暦は「太陽の動」きを基準として日にちを定めています。
太陰太陽暦は、太陰暦に太陽の動きを加味した暦です。
ちなみに日本では明治時代の最初のころまで、太陰太陽暦を使用していました。
それぞれどんな成り立ちで、どんなメリット・デメリットがあったのでしょう?
ひとつずつみていきましょう!
太陰暦とは
歴史的には太陽暦よりも太陰暦のほうが古く、古代メソポタミアで使われていました。
まず古代の人たちが季節を知るために用いていたのが「空の星」でした。
季節ごとに様々な星座がありますよね?
それと同時に「月の満ち欠け」も日にちを数える手がかりとして使われていました。
「太陰暦(たいいんれき)」のなりたち
紀元前18世紀頃、古代バビロニアの僧侶たちは毎日寺院の屋上に登って、月の観測をしていました。
(バビロニアはチグリス川とユーフラテス川の間の土地で、現在のイラクのあたりです。)
そのとき、月の満ち欠けが一定の周期で行われていることを発見し、新月から新月までの間を一カ月としました。
これが「太陰暦(たいいんれき)」のなりたちです。
太陰暦ができた事で、「月」や「年」の概念ができたと言われています。
新月と満月の頃が大潮(満潮)となるため、潮の満ち引きがわかりやすく、漁業にとても役に立ったそうです。
また、「毎月15日は満月」などのように月の形と日にちが一致するので、夜の行事の予定が立てやすかったといいます。
いまでも太陰暦のなごりが残っています!
ちなみに…太陰暦では、月が出ない新月を「朔(さく)」と呼び、毎月1日としました。
1日は月が立つため「ついたち」と言い、月末は月がこもるので「晦(つごもり)」もしくは「三十日(みそか)」と言いました。
現在でも一年の終わりを「大晦日(おおみそか)」とよぶなどなごりがありますよね。
また、月の形が変わるのに伴って三日月を3日、上弦の月の頃を8日、満月は15日、下弦の月を23日としていました。
そのため、ひと月が29.5日となり、1年を354日としていました。
毎月、月の形と日にちがぴったり合うので、とてもわかりやすかったのですが、残念ながら一つ欠点がありました。
太陰暦のデメリットを解決するために「太陰太陽暦」が誕生
月が地球を一周するのにかかる日数は29.5日で「年間354日」でしたが、地球が太陽の周りをまわるのと比較するとズレが出てしまうんです。
(地球が太陽の周りを回るのは、1年で365日だったため、約11日間ずれてしまうことになります。)
1年くらいならそれほど気になりませんが、3年ほど経つと約1ヶ月、10年で約4ヶ月もずれてしまいます。
そうなると、お正月が暑い時期になってしまったり、お盆の時期に雪が降っているなんていうふうに季節がメチャクチャですよね?
それを補正するために「うるう月」を作って、3年に1度、1年を13ヶ月にして季節がずれるのを防ぎました。
これを「太陰太陽暦」として、日本では明治まで使われました。
イスラムでは現在でも太陰暦が使われている!
サウジアラビアなどのイスラム諸国では、現在も太陰暦が使われています。
「ヒジュラ歴」とも呼びます。
もともと太陰太陽暦を使っていたそうですが、イスラム教の聖典「コーラン」に次の一文が記されています。
「天地創造の日、神の啓典に定められたところによって月の数は十二であり、そのうち四ヶ月は神聖月である」
そのため「十二の月と一の月の間の神聖月に、うるう月を入れるのはダメだ!」ということで、かなり揉めたそうです。
他にも、神聖月に戦いを仕掛ける口実になってしまうという説もあります。
いずれにせよ、ムハンマドが「純粋な太陰暦を使わないとダメだ」的な言葉を残しているため、今でも太陰暦(ヒジュラ歴)を使用しているんですね。
とは言え農業では不便なことが多く、イスラム教が世界中に広がっている現在、太陰暦だけでは不便なことこの上ないため、太陽暦(グレゴリオ暦)のカレンダーも両方使っているそうです。
ちなみにトルコはイスラム教がほとんどですが、トルコ革命のときに世俗主義政策の一環として太陽暦(グレゴリオ暦)を採用しています。
太陽暦とは
太陽暦は、古代エジプト文明で作られた暦です。
「太陽暦(たいようれき)」のなりたち
エジプト文明はナイル川のおかげで繁栄しましたが、定期的に川が氾濫していました。
ナイル川の上流は土がとても肥沃(ひよく)で、川の氾濫が肥沃な土を下流へ押し流してくるため人々はそれを待ち望んでいたそうです。
生きていくためには農業をするしかないので、川の氾濫がいつ頃なのかを知るために、夜は星を眺め、昼は太陽を観察し続けました。
ちなみに太陰暦では太陽が回転する365日に11日ほど足りないため、ナイル川の氾濫を正確に把握できません。
そのため、太陰暦の代わりとなる別の方法を考えていたとされています。
そこで、地上から見える一番明るい恒星である「シリウス」の動きに注目しました。
夏至の時期に太陽と同じ位置に、太陽が昇る前に出現することを見つけ、ナイル川が氾濫する時期を察知しました。
シリウスが出現して、再びシリウスが出るまで365日かかるので、これを1年とし、この日を「年初」、シリウスが現れた日は「元日」としました。
その後さらに観測を続けていくと、365日では少し誤差が生じることがわかりました。
正確には、地球が太陽の周りを回るのに365.25日かかっています。
だいたい4年につき1日ずれるので、4年に1度(1日増やして366日とし)「うるう年」をつくり、暦がずれないように調整したそうです。
ちなみに毎年1月1日は「太陽暦施行の日」で記念日とされています。
ユリウス暦とグレゴリオ暦
そんなエジプトで作られた太陽暦ですが、当時のローマ帝国の帝王「ユリウス・カエサル(シーサー)」がエジプトを訪れた際にこの太陽暦を知り、「これはイイ!」と言ってローマに持ち帰り、各地で使ったそうです。
そのため、これを「ユリウス暦」と言いました。
しかし再び問題が生じます。
ユリウス暦では1年の長さを365.25日としていましたが、実際には365.2425…だったことがわかり、1年で0.0075日(約11分)誤差が生じることがわかりました。
なんてことない誤差ですが、400年もたつと3日ほどズレてしまいます。
ちなみにユリウス暦は、紀元前45年から1582年くらいまで使われていたそうです。
およそ1600年も使われている間に、12日くらいズレていたんですね。
ユリウス暦では「3月21日を春分の日」と決めていましたが、実際にはもっと遅くなってしまっていました。
そこで、それを修正するために考えられたのが、次の方法です。
「100の倍数の年で、400で割れる年以外を、「うるう年」ではなく「平年」とする。」
これを下に表にしてみました。
1600年 | 1700年 | 1800年 | 1900年 |
うるう年 | 平年 | 平年 | 平年 |
2000年 | 2100年 | 2200年 | 2300年 |
うるう年 | 平年 | 平年 | 平年 |
こうすることで、400年間で3日分少なくすることができます。
これを「グレゴリオ暦」として定め、現在でも使われています。
日本ではいつから暦が変わった?
日本では、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)として礫が変更されました。
急に変更されたため、世の中は大混乱したみたいです。
太陽暦を導入したワケ
欧米では太陽暦を使用しており、太陰太陽暦を使用したままだと、貿易などで不都合が出てしまうためと言われています。
が、もう一つ理由があって、明治が始まって間もなかった頃なので、政府にお金が全然なかったそうです。
改暦をしたのが12月3日なので、12月中に改暦すれば、12月分の給料は2日分しか払わなくてよくなります。
明治6年にはうるう月があるため、改暦しないままだと余計にお金がかかってしまいます。
というわけで、急きょ改暦をしようということになり強引に変更されたそうです。
ちなみに政府からの発表は改暦から23日前で、世の中は大混乱だったでしょうね。
ずいぶんケチくさい理由で改暦となったわけですが、当時の公務員は2ヶ月ぶんの給料を損してしまいましたね。
かわいそうに…。
まとめ
いかがでしたか?
1年が365日であることや、うるう年がある理由がお判りいただけたかと思います。
めちゃくちゃ長い年月をかけて、現在使われているカレンダーが作られたんですね。
これを誰かに話したら、「へぇ~」と一目置かれるでしょう。
と思ったら、中学生の息子が最近授業で習っていました…。
子供に話したら「そんなの知ってるよ!」と言われるかもしれませんので、ご注意を!
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